インターネットがなかった時代、何かを知りたいと思ったら実際に行動を起こすしかなかったと思います。
思春期の頃、女性に興味を持ち、知りたいと思ったらビデオ屋さんの奥の18禁の暖簾をくぐるしかありませんでした。覚悟を持った男子の行動だと思います。
理学療法士の大先輩の方からは、海外の文献を手に入れるにもいろんな方に頼んだり、人脈が必要だったし労力が必要だった、でもそうやって苦労して手に入れた文献は擦り切れるぐらいまで読んで自分のものにしていった、とお話を伺ったことがあります。
知るためには行動が伴う必要がありました。
分かる(知る)と、出来る、には大きな差があると感じていますが、それは現代病なのかなと最近は考えるようになりました。今はインターネットで調べてしまえばだいたいのことは知ることができ、行動を起こさなくても知ることができてしまいます。これは便利な反面、行動を起こさなくなる大きな要因となっているとも考えられます。
知識や情報の仕入れ方、というのはとても大切なんだと思います。情報を仕入れるために行動した際の体験、そして仕入れた情報にはとてつもない価値があるとともに、行動したという経験が積み重なっていきます。
知るために行動する、簡単に情報を仕入れない、これは自分に言い聞かせています。
自分の今までを少し振り返ってみました。人に言われたことを鵜吞みにしたり、受け売りの言葉を使うことが自分自身で受け入れることができません。”ダサい”と思ってしまう人間です。
実際に自分が入り込んで、自分で感じて、自分の言葉にしていく、ということはこれまでも繰り返していました。介護の業界で仕事をさせていただいていたのも、自分で体感したかったからです。そう考えると、知るために行動を起こしていたんだなと思います。
自分の人間性のせいで多くの方に迷惑をかけてしまったし、回り道のように思っていたこともありますが、全て今に繋がっているんだなと感じます。